街 道(藤沢宿~馬入)
旧街道
主に江戸時代に幕府や各藩によって整備された道のことをいい、主要なものに、教科書にも出てくる五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)がある。
一里塚
文字通り一里(約4km)毎に置かれた道中の道しるべ、神奈川県内の東海道には20カ所の一里塚が築造されました。茅ヶ崎一里塚跡では当時の姿をしのぶことができます。
【遊行寺坂一里塚跡】(藤沢市西富、 遊行寺坂長生院付近)
【四ツ谷一里塚跡】(藤沢市城南、 羽鳥交番前交差点を過ぎて右側)
【茅ヶ崎一里塚跡】(茅ヶ崎市茅ヶ崎、 一里塚交差点、イオン向い、塚が残っている)
【馬入一里塚跡】(平塚市馬入、 馬入橋を過ぎて、ちょんまげ最中の弘栄堂向、馬入交差点際)
並木
旅人を風雪から守り、また照りつける陽光をさえぎり、優しい木陰をつくりだすと同時に、道路敷を確保するための重要な役目を担っていた街道施設です。
川崎から小田原では松並木が、箱根山に入ると杉並木が当時の姿を残しています。
【東海道の松並木碑】(茅ヶ崎市本村、 茅ヶ崎高校付近)
道標
広い意味での「道路標識」で、「道印」「立石」「庚申塔」「題目塔」「不動」「阿弥陀」などがあった。
四ツ谷に置かれた「不動」】は、大山寺への参詣道を示し分岐点の目印となりました。
間の村(宿と宿の間にある村)の中で、馬を継ぎ立てたり、
人足や駕籠かきなどが休息する場所を「立場」と呼び、
神奈川県下の東海道には18の立場がありました。
【羽鳥村四ツ谷】(藤沢市城南、 四ツ谷交差点付近、
旧堂44号線と1号線の合流地点)
【菱沼村牡丹餅】(茅ヶ崎市松林、 松林小学校入口交差点)
【茅ヶ崎村南湖】(茅ヶ崎市下町屋、 鳥居戸橋付近
南湖左富士之碑、鶴嶺神社大鳥居)
宿 場(藤沢宿)
神奈川県の東海道には、川崎宿、神奈川宿、保土ヶ谷宿、戸塚宿、藤沢宿、平塚宿、小田原宿、箱根宿、九ヵ所の宿場がありました。藤沢宿は日本橋から6番目の宿場になります。
宿場には、旅人を泊めたり休ませたりするという役割と、運ばれてきた公用の荷物や通信物を次の宿場まで運ぶという重要業務がありました。そのため、本陣・脇本陣・旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心施設となっています。
見附
宿場の出入り口には、見付と呼ばれる構造物があり、江戸側の出入り口にあるものを江戸見付、京側にあるものを上方見付と呼びました。
【江戸方見附跡】 (藤沢市西富、遊行寺坂諏訪神社向い側)
【上方見附跡】 (藤沢市藤沢、小田急線藤沢本町駅架線橋)
高札場
最も基本的な法令を書き記した木の札(高札)を掲示した施設であり、東海道に面して比較的目立つ場所にありました。
【高札場跡】 旧大久保町(2間x3間x1間) (藤沢市藤沢 遊行寺橋袂)
本陣
大名、公家、また幕府役人などが公用の旅で宿泊する宿舎が本陣です。
【蒔田本陣跡】(藤沢市藤沢、 妙善寺付近)
【藤沢御殿跡】(藤沢市藤沢、 公民館付近)
問屋場
宿場を円滑に運営するために、宿役人が存在していた。この宿役人が業務を行うために詰めていたのが問屋場です。
【問屋場跡】 (藤沢市本町 近藤眼科付近)
(藤沢市本町 消防署付近)
旅籠・茶屋
江戸時代の宿泊施設としては、各宿場に公用旅行者用の本陣・脇本陣のほか一般旅行者用の旅籠屋が用意され、また宿場間には休憩施設である茶屋も多くありました。
街道沿いの主な社寺・旧跡
藤沢 ➡ 平塚 | 山側 | 山側 |
遊行寺坂 | 【一里塚跡】、(小栗判官墓) 【江戸見附跡】、遊行寺 | 諏訪神社 |
藤沢宿 引地橋 | 引地橋 【高札場跡】、【蒔田本陣跡】、【藤沢御殿跡】 妙善寺、義経首塚、白旗神社、【京見附跡】 養命寺 | 感應院、【問屋場跡】 常光寺、荘厳寺、永勝寺 おしゃれ地蔵 |
四ツ谷 | 四ツ谷不動(大山道道標)、【一里塚跡】 | |
茅ヶ崎 | 上正寺、廣徳寺、熊野神社 【牡丹餅立場跡】、【松並木碑】、海前寺 八王子神社、旧寛永寺石灯籠(市役所前) | 地蔵堂、千手院 【一里塚跡】 |
小出川(下町屋橋) | 第六天神社、鶴嶺神社鳥居、弁慶塚 上国寺、信隆寺 | 円蔵寺、金剛寺 南湖の左富士之碑 神明神社、旧相模川橋脚 |
馬入川(馬入橋) | 丁髷塚 | 【一里塚跡】 |
藤沢宿からしばらく旧道を進み、四ツ谷で東海道に合流すると茅ヶ崎辺りまで松並木が続きます。街道の両側に沢山の旧跡があるのに驚きます。約13キロ、普通に歩けば3時間ほどの距離ですが交通量が多いので横断には注意しました。(2017/05ekijilife)